話題の本、「人新世の『資本論』」を読みました。
共感を覚える部分もありましたが、違和感もまた感じながら読みました。
サステナブル料理研究家、一般社団法人DRYandPEACE代表理事のサカイ優佳子です。
2011年からは特に、現代のライフスタイルに合わせた乾物の活用法の研究、発信に力を入れています。
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目次
1 私的要約
人新世とは
人新世とは人類の経済活動が、地球を破壊する環境危機の時代であると言います。
そんな中、SDGs(エスディージーズ、持続可能な開発目標)が叫ばれているものの、これはアリバイ作りに過ぎない、と著者は一刀両断します。
温暖化対策をしていると思いこむことで、真に必要な大胆なアクションを起こさなくなるから、がその理由です。
今こそ、マルクスに学ぼう!と始まります。
資本主義の限界
- 「周辺」の減少
「周辺」が負け続けてくれないと「中核」の豊かさは実現できないが、「周辺」が減少してきたため、中核の豊かさも担保されなくなります。 - プラネタリーバウンダリー
地球の限界があり、成長しながらのCO2削減は無理とします。 - 資本主義では、いつまでもみんなが豊かにはなれない
資本主義は、希少性を生み出す=欠乏感を生み出すシステムであるとします。
私富の増大は、貨幣で測れる国富を増やすが、真の意味での国民としての富「公富」=コモンを減少させるので、いつまでたってもみんなが豊かになる世界は作れないというのです。
明らかになった晩年のマルクスの思想
マルクスの新たな全集プロジェクトが進められる中で、「資本論」以降のマルクスの思想の変化が明らかになってきたのだそうです。
進歩史観をすて、西欧資本主義の優位性を修正し、エコロジー研究を進めていたメモが大量に見つかったことで、新たなマルクスの思想に注目が集まっています。
マルクスは、社会的に人々に共有され、管理されるべき富を「コモン」と呼び、水、電力、住居、医療、教育などを、公共財=コモンにするべきとします。
生産手段だけではなく、地球をもコモンとして管理する社会を目指そうというのです。
宇沢弘文の「社会的共通資本」との違いは、宇沢はその管理を専門家に任せるのですが、マルクスは、市民が民主主義的に管理する点にあります。
目指すのはどんな社会?
国家の力を前提にしながら、コモンの領域を広げ、GDPで測れない「ラディカルな潤沢さ」を目指します。
経済成長をしない、循環型の定常型経済が理想で、経済成長ができる場面でもあえてそれを目指さないことを選ぼうといいます。
「売上を、減らそう。たどりついたのは業績至上主義からの解放」の著書でも知られるようになった中村朱美さんの佰食屋という飲食店のあり方を思い浮かべました。
こういう考え方が基本になることが、これからは大切ということなのでしょう。
著者が具体的に挙げている5つの方針は、以下です。
- 使用価値経済への転換
マーケティングや広告、パッケージなどやめる - 労働時間の短縮
コンビニの深夜営業などやめる - 画一的分業廃止
労働を楽しめる、自己実現できるものに - 生産過程の民主化
みんなで決めよう - エッセンシャルワークの重視
介護や看護など使用価値の高いものを生み出す仕事の重視
どう実現するのか?
slowfoodのような動きは「ローカルすぎる」と著者は批判する立場に立ちます。
理由は、そんなローカルな活動では、成長し続ける商品経済に飲み込まれてしまう(資本主義による包摂)から。
- 「気候正義」の元に国境を超える運動にしよう
- グローバルサウス(発展途上国)に学ぼう
とし、例として、バルセロナが提起した「フィアレスシティ」(国家に対しても、グローバル企業に対しても恐れずに、住民のために行動することを目指す都市)の動きを挙げています。
以下のようなことも提案されています。
- 自己抑制をして、物質への欲望から自由になろう
- エネルギーを地産地消に
- ワーカーズコープ 生産手段をコモンに
- 閉鎖的技術を減らして開放的技術へ
(閉鎖的技術=人を分断、労働者を奴隷化、生産物とサービスの供給を独占。開放的=コミュニケーション、協業、他者との交流を促進。再生可能エネルギーなどは後者に属する)
2 読んでみて
マルクスが正しいのが前提?
まず感じたのは、「脱成長コミュニズムを無批判によしとするのはどうなのか?」でした。
後期マルクスの主張が正しいのが前提での論の進め方に、違和感を覚えました。
性善説に基づいた提案であり、例えば、努力する人しない人などの差をどう考えるのか?など、悪平等の可能性はついてきます。
自己抑制に期待しすぎ?
また、自己抑制に期待しすぎかなとも感じました。
抜け駆けする人は必ず出てくるに違いないと、私には思えるのです。
使用価値経済への転換についていえば、「時計は時間がわかればいい」とすることになり、ちょっと素敵なデザインのものがいいな、などは無視されることになるのかな?だとしたら寂しい社会だなとも思えます。
小さな善意の積み重ねを一蹴するのはどうか?
スローフード運動や、SDGsの取り組みなど、一人一人の小さな善意の積み重ねを一蹴するのはどうなのかなとも感じました。
もちろん、善意でやっていても、それが本当に効果が期待できるものであるかは分からない面はあります。
また、著者はそんな小さな行動では、資本主義に包摂されてしまうと言います。
でも、一蹴するのではなく、もし間違いがあるならそれをただし、より良い方向の努力へとつなげれば良いのだし、小さな善意が集まることで、著者が目指そうというフィアレスシティのような大きな運動にもなるのではないでしょうか。
そういう行動ができる人たちこそが、著者がいう、最初の3.5%になりうる人たちなのではないでしょうか?
一蹴するのではなく、取り込むことが大事と思います。
日本で、建設的な話し合いは可能なのか?
フランスの黄色いベスト運動についての記述に、とても興味を覚えました。
私は、この運動をマクロンの政策に反対する労働者たちの運動くらいにしか捉えていなかったのですが、実際には以下のような大きな動きだったのだそうです。
- 2019年に国民大論争をやろうと決まり、
- 150人規模の市民議会が一万回も開かれ、
- 16000の案がでた
- 市民議会のメンバーはくじ引きで選ばれた
- 2020年6月に150の政策案が出された
フランス革命からの精神的伝統なのでしょうか。
民主主義が根付いていることを感じました。
日本にこうしたことが実現できる土壌があるか?建設的な話し合いは可能なのか?と残念ながらここは不安に感じました。
でも、不安だからやらない、のではなく、実現するためには何が必要かと考えるべきなのでしょうけれど。
一個人として何をすればいいのか?
資本主義が全ての人を豊かにすることはないのは明らかだし、地球に負荷を書けない暮らしにシフトしていかなくてはいけないことも確かです。
「コモン」の領域を広げていこうという主張には、賛成です。
働きすぎるのは、結局のところ、将来に不安を覚えるからという理由が最も大きいと思うからです。
何があっても生きていけるだけの「コモン」が保証されていれば、働き方を変える人は多くなるでしょう。
藤原辰史さんが提案する「無料食堂」も、この流れの中に位置づけられます。
でもまず、個人として何ができるのか?
- 余計なものは買わない
- 無駄を出さない
ありきたりですが、そういうことが、余計な生産をうまなくなる社会につながるのじゃないかな?
この本も、早く読みたかったのですが、図書館で長らく待って読みました(笑)。
こうした本がベストセラーになるのは、世の中の流れが変わってきている、変わらなければいけないと感じている人が多いからなのだと思います。
それをきっかけに対話できたら、なおいいなあ、とも。
ご意見いただけたら嬉しいな。
読書会で取り上げてみようかとも思います。
この本を読んで、今までに読んだ本を思い出したり、これから読みたい本が出てきたりしました。
参考までにアマゾンリンクを貼っておきます。
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