お正月の記録〜新潟の旧家の味を千葉生まれの私が引き継いで

2020年暮れのお年取り料理

2021年、明けましておめでとうございます。

みなさまいかがお過ごしでしょうか。

我が家は、義母の生家の慣習を引き継ぎ、大晦日がお年取り料理で大ご馳走でした。
お雑煮だけは年が明けてからいただきます。

2017年に亡くなった義母の生家は、新潟の旧家でした。
お手伝いさんがたくさんいたからこそ成り立っていた手間暇かかるお年取り料理。
今は、私以外に作る人がいなくなってしまったようなので、記録に残しておきたいと思います。

ほぼ同じ内容の音声配信はこちらでお聴きいただけます。

目次
1 鮭の焼き漬けと、幻になったヤツメウナギ
2 引き継いだ料理〜のっぺい、鴨と長芋のお吸い物、そしてお雑煮
3 変化した料理
4 義母の家のお正月料理を継ぐのは、私だけになってしまいました


1 鮭の焼き漬けと、幻になったヤツメウナギ


年越しそばもなく、大晦日がご馳走。
重箱にお節を詰めるという習慣もなく、お神酒と称して日本酒をいただきますが、お屠蘇をいただくこともありません。

クリスマスがすぎると、市場で生鮭を半身買ってきて、新潟の郷土料理「鮭の焼き漬け」を作ります。
焼き漬けはお正月には食べませんが、お雑煮にこの漬け汁が必要なので事前に作っておく必要があるのです。

写真のような切り方を、義母は「新潟切り」と呼んでいました。
「関東では、なんであんなに薄く切ってしまうのかしらね」と横浜に移ってからは時折こぼしていました。

鮭の焼き漬け

市場の最終日に受け取れるように、うなぎを注文。大晦日に白焼きにしています。

かつては、新潟の本町の市場にあった川魚専門店でヤツメウナギを目の前で捌いてもらっていました。
切ってもすぐには静止しない生命力をもつヤツメ。
のたうちまわっているうちに蒸すのが肝心なのですが、5cmほどに刻まれていてもまな板から逃げようとするほど。箸で捕まえようと思っても無理なので、手で掴んで蒸し器に入れます。
手はヤツメの血で赤く染まります。
そのあと、頭でとったダシと砂糖とみりんと醤油で調味した汁で煮てから焼き上げます。
そんな風にして作ったヤツメウナギは、本当に美味しかった!

でも、そのお店が閉じてからは幻の味になってしまいました。
2005年ごろのことです。

塩数の子や、昆布、かつお節、干し椎茸、黒豆、小豆、塩イクラ、塩引の鮭などを購入します。
塩引きという言い方も新潟風なのだと思いますが、塩鮭のことです。
村上に近かった義母の家のあたりでは、お年取り料理に塩鮭を焼いたものが欠かせないのでした。


2 引き継いだ料理〜のっぺいと鴨と長芋のお吸い物、そしてお雑煮


のっぺい
と言ってわかるのは新潟にゆかりのある人でしょうか。
義母の家では、里芋、人参、干し椎茸、こんにゃく、たけのこ、銀杏、ゴイ(関東で食べるくわいとは違って、コリコリした中国クワイ系)、ゆりね、栗が入ります。
鰹ダシと酒、少しの醤油と塩だけで味つけるのですが、具材の甘みでしみじみと美味しい煮物です。

今年は、自分で拾った銀杏を使いました。
ゴイは横浜では手に入らないので、中国クワイの缶詰を使っていましたが、近くの店で置かなくなってしまい加えるのを断念しました。
その代わり、たけのこを干したけのこに替えて、その食感を楽しむことに。
この時期はどうせ水煮や冷凍のたけのこしかないので、むしろ干したけのこを使う方がいいなと、今後はこれで行こうと思います。

のっぺいには、茹でた塩イクラを載せるのが義母の家風。
「ようのこ」と呼びます。
そのまま食べたい!もったいないし、色もイマイチと毎回思うのですが、、。

のっぺい

こちらは昨年ののっぺい。塩イクラをそのままのせちゃいました。

のっぺい


鴨と長芋のお吸い物

鰹出汁と鴨出汁を合わせて、鴨、長ネギ、手綱こんにゃく、長芋を煮て三つ葉を飾ります。
太い長芋を厚さ2cmほどの斜め切りにして煮るのは、衝撃でした。
でも食べるとほっくりとして本当に美味しく、この食べ方はとても気に入りました。
味付けは、酒と塩のみですが、深い味わいです。
息子曰く、「二日酔いの朝に飲みたい」のだそうですw。

鴨の吸い物

このお吸い物とお雑煮のために、鴨ガラが必要で、一羽ものを買ってさばきます。

鴨をさばく 鴨ガラでダシをとる

以前は、新潟で鴨猟をする人から買い付けていましたが、その方も2010年頃に引退し、そのあとはネットで注文することが増えました。うっかりギリギリになって注文すると、7,000円もしたことも。
今年は市場で冷凍物のブラジル産を購入。2,500円でした。
「今年は日本のものはないんですよね」と市場のおじちゃま。

家族が中国に住んでいた時にも、上海でお雑煮だけは作っていました。
鴨がとても安く手に入ったのは助かりました。
おじちゃまによれば、コロナの関係で、中国産も今年は全く入っていないのだそうです。

お雑煮
義母の生家のお雑煮は、7種類のダシで味を調えます。
昆布、かつお節、あたりめ、鮭の焼き漬けの汁、干し貝柱、鴨ガラの出汁、干し椎茸の戻し汁。

初めて新潟で年末年始を迎えたのは1990年。
暮れに帰省すると、台所には10本ほどの大きな大根がありました。
お雑煮用と言われたものの、関東風の鶏肉と椎茸と三つ葉のお吸い物で育った私にはできあがりの見当もつきません。
大根を紙のように薄い短冊に切ること、投げたら壁に張り付くくらいに。
それを10本?お雑煮に?
ひたすらひたすら大根を切りました。
「大根打ち」と呼びます。
そして下ゆで。

具は、大根の他に、こんにゃく、人参、干し椎茸、鴨。
鮭、あたりめ、干し貝柱も入ります。
そして、三つ葉と「ようのこ」をのせます。

お雑煮

7種のダシと大根の甘さで、醤油と塩少々で味をつければ本当に美味しい。
他はなくてもいいからこのお雑煮だけは食べたいと、家族は言います。

新潟で年越しをしていた時代とは違って、今は三浦大根で2本半くらいの量(大きめの青首で4本くらいでしょうか)に減りました。
娘がいる時は一緒に大根を打ちます。
今年は娘が大事な試験を控えているので一人大根を打ちました。
30年もやっていると、もう慣れたものですけれどね。

茹で蛸と刺身、蟹も並びます。


3 変化した料理


義母の生家では、「角天」と呼ばれる大きな寒天が着くのが習わしでした。
着色剤で緑色に染め、砂糖で甘くして作る角天は、アトピーの娘が着色剤に反応することもあり、変更させてもらうことに。
義母が毎年作っていた梅シロップを少し薄めて寒天で固めることにしました。
義母が亡くなってからは、私が作る梅シロップで作っています。

赤かぶ漬けをつけるのも義母の生家流。
でも、男性たちも子どもたちもその辛味を喜ばないことから、関東風に紅白なますに変更させてもらいました。

黒豆は、加えさせてもらった一品。
義母の生家ではお正月に豆を煮る習慣がなかったのです。

栗きんとんや田作り、伊達巻を食べる習慣もないのでした。
ただ栗が好きな母は、栗ものを何かしら取り寄せていました。
義母が好きだった赤坂の和菓子店塩野を、年末久しぶりに訪れたので、今年は栗羊羹を。
伊達巻の代わりに甘い卵焼きを作っています。


4 義母の家のお正月料理を継ぐのは、私だけになってしまいました


よその台所で、勝手の違うお節料理作り。
最初の数年はトイレで泣いたこともありました。
お節料理は大晦日に買って揃えて済ませていた実家のお気楽さが懐かしくもありました。

新潟では、年始も夜に親戚が来るので、そのおもてなし料理も別に作る必要がありました。
男性だけがその料理を食べ、残れば台所で嫁にも回ってきて味見ができます。
でも残らなければ冷蔵庫の残り物を食べるという、今考えればかなり封建的な家風でした。
三が日がすぎると疲れ切って熱を出すこともしばしば。
「新潟は美味しいでしょう」とよく言われたものですが、外で食事をしたことはほとんどなく、ずっと台所で料理を作り続ける年末年始でした。

実は、義母自身は自分でお年取り料理を作ったことがありませんでした。
戦後すぐにアメリカに留学した父を追って、貨物船で渡米し結婚。
すぐに戻るつもりがそのまま四半世紀以上をアメリカの田舎で過ごすことになります。
帰国するときには実家で、親が亡くなったあとは兄夫婦の家でお年取り料理をご馳走になっていたとのこと。大勢のお手伝いさんがいる家でした。

義母が亡くなって3年。
それでも、泣くほど大変と思った年末の料理作りを続けている私がいます。
気づいたら、新潟の親戚の家々では、もうこうした料理を作る人はいなくなってしまいました。
受け継いでいるのは嫁の私だけ。
家族が皆楽しみにしてくれているから続けられるのだと思います。
私は、元気でいる限り、年末はこの料理をきっと作り続けていくのだろうなと思っています。

千葉生まれ、千葉育ちの私が新潟の味を引き継ぐ。
自分でも不思議な感じです。

長く続けることで見えてくる境地というものもあるなあと思いながら、今年も無事お正月の食卓を調えて新年を迎えることができました。コロナで、親戚の集まりもキャンセルになった、ちょっと寂しい新年ではありますが。

今年が平和な一年であってほしいと心から祈っています。

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

サステナブル料理研究家/一般社団法人DRYandPEACE代表理事
東大法学部卒。外資系金融機関等を経て、娘の重度のアトピーをきっかけに食の世界に。

食には未来を変える力があるという信念のもと、今のライフスタイルにあった乾物や米粉の活用法を中心にレシピを開発している。
料理教室の開催、企業向けメニュー開発、研修など多数。

料理を自由に発想でき、毎日の料理が楽しくなる独自の「ピボットメソッド」を考案。個人やメニュー開発が必要な方向けのトレーニングも行っている。

著書14冊。メディア出演多数。

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