先日、鹿児島の老舗・明石屋さんの軽羹饅頭をいただきました。
「明石屋さんは、山芋の粉ではなく、山芋をちゃんとすりおろして作っているから、一番おいしいんです!」
地元の方が、そう言って手渡してくださいました。ありがたいことです。
実は私も、鹿児島のアンテナショップに行くと、明石屋さんの軽羹を買うことがあります。
軽羹ならではの、しっとり、ふんわりとした食感。
米粉の素朴な風味と、山芋が生み出す独特の弾力。
そして、口の中にやさしく残る上品な甘さ。
小豆あんを包んだ軽羹饅頭もおいしいですが、軽羹そのものの味を楽しみたいときには、あんの入っていない棹状の軽羹もおすすめです。
軽羹は、父の思い出の味

軽羹は、私にとって父の思い出につながるお菓子でもあります。
亡くなった父は、私が3歳から4歳のころ、仕事で福岡に住んでいました。
そのころ父が気に入って、千葉に戻ってからも、九州物産展などで家族のために買ってきてくれたのでしょう。
太宰府の梅ヶ枝餅、熊本の辛子れんこん、博多明太子、長崎のかんころ餅、福岡のひよ子など、千葉で育った私にとっても、九州の食べ物は子どものころからどこか身近な存在でした。
軽羹も、その一つです。
以前、九州出身のご近所さんから鹿児島土産として軽羹をいただきました。
食べるのは20年ぶりくらいだったかもしれません。
ひと口食べて、
「父が好きだったなあ」
と、とても懐かしくなりました。
今回、明石屋さんの軽羹饅頭をいただき、また父のことを思い出しました。
食べものは、味や香りと一緒に、そのときの情景や一緒にいた人のことまで連れてきてくれます。
長い間食べていなかったものでも、ひと口食べただけで、記憶の扉が開くことってありますよね。不思議です。
「羹」という字は、どこから来たのでしょう
軽羹は、「軽い」という字に「羹」と書きます。
この「羹」という字は、日常生活ではあまり見かけませんよね。
「羹」は「あつもの」と読み、もともと中国では、肉や野菜を煮た、とろみのある汁物を意味しました。
同じ字を使う和菓子に「羊羹」があります。
羊羹は、もともと「羊の羹」、つまり羊肉を使った汁物を意味する言葉でした。
中国へ留学した禅僧によって、鎌倉時代から室町時代ごろに日本へ伝えられたとされています。
ところが禅僧は、宗教上の理由から肉を食べることができません。
そこで、小豆や葛粉、小麦粉などを使って、羊肉の羹に見立てた料理を作ったと考えられています。
その後、次第に甘味が加えられ、菓子として食べられるようになります。
江戸時代の半ば以降には、寒天を使った水羊羹や煉羊羹が作られ、全国へ広まったとされます。
羊羹より軽いから「軽羹」?
では、軽羹はなぜ「軽い羹」と書くのでしょうか。
名前の由来には、いくつかの説があります。
一つは、羊羹よりも食感や口当たりが軽いことから、「軽い羹」、つまり「軽羹」と呼ばれるようになったという説です。
ずっしりとなめらかな煉羊羹に対して、軽羹の中には細かな気泡があります。
口に入れると、ふんわり、しっとり。山芋の粘りによる、もっちりとした弾力もあります。
羊羹と比べれば、確かに軽やかな印象です。
また、軽羹の生地は、蒸し上げると蒸す前よりふっくらと膨らみ、軽くなることから、この名がついたともいわれています。
島津斉彬と菓子職人・八島六兵衛
軽羹の始まりについても、いくつかの説があります。
よく知られているのは、薩摩藩の第11代藩主・島津斉彬が江戸から招いた菓子職人、八島六兵衛によって考案されたという説です。
八島六兵衛は播州明石の出身で、江戸で菓子店を営んでいました。
島津斉彬が、おいしく栄養があり、保存にも役立つ食品を研究させるために六兵衛を鹿児島へ招いたといわれています。
六兵衛は、薩摩で手に入る山芋と米に注目し、研究を重ねて軽羹を完成させたとされています。
現在の「明石屋」という店名は、八島六兵衛の出身地である明石に由来するそうです。
ただ、軽羹そのものは、それ以前から存在していた可能性も指摘されています。
八島六兵衛が一から考案したのか、すでにあった菓子を改良して現在の軽羹に近づけたのか。
そうした謎も含めて、郷土菓子の歴史をたどる面白さなかもしれませんね。
鹿児島の風土が生んだお菓子
軽羹の基本的な材料は、山芋、米粉、砂糖、水。
軽羹饅頭はこれに小豆が加わりますが、とてもシンプルです。
潔いわ〜!
鹿児島には、火山灰が積もってできたシラス台地が広がっています。
水はけがよく、作物を育てるのが難しい土地もある一方で、軽羹の材料となる自然薯は多く自生しているのだとか。
さらに薩摩藩は、奄美地域や琉球とのつながりがあり、江戸時代にはとても貴重だった砂糖を比較的手に入れやすい環境にあったとのこと。
自然薯、米、砂糖。
その土地にあった材料が組み合わされ、鹿児島を代表するお菓子が生まれたんですね。
かつては大名家で食べられた「殿様菓子」
とはいえ、やはり砂糖は貴重品。
軽羹を誰もが気軽に食べられたわけではなかったようです。
軽羹は、薩摩藩からほかの藩へのもてなしや進物などに使われる御用菓子でした。
主に大名家の祝い事やもてなしの席で食べられていたことから、「殿様菓子」とも呼ばれます。
庶民の間にまで広く普及するようになったのは、明治時代に入ってからとのこと。
現在では鹿児島土産として親しまれていますが、かつては限られた人しか口にできない、格式の高いお菓子だったのですね。
秋から冬は「軽羹の旬」
軽羹は一年を通して販売されていますが、材料となる自然薯の旬は秋から冬です。
収穫したばかりの自然薯を使って作られるこの季節は「軽羹の旬」ともいわれています。
自然薯は、自生する天然の山芋です。
一般的な長芋よりも水分が少なく、強い粘りと独特の風味があります。
我が家では10月になると千葉の自然薯を買い求めて楽しみますが、箸でつまんでも落ちないすごい粘りで、いつも驚きます。
鹿児島の火山灰を含む土地で育つ自然薯は、特に粘りと風味に優れているともいわれます。
この強い粘りが、生地の中に空気を抱き込むんですね〜。
その生地を蒸すと、軽羹ならではの細かな気泡ができ、ふんわり、しっとり、もっちりとした食感が生まれるわけです。
卵や油脂、ベーキングパウダーを使わなくても、山芋の力でふっくらと膨らむ。
昔の人は、膨張剤の仕組みや調理科学という言葉を知らなくても、素材をよく観察し、その性質を巧みに生かしていたんですね。
かるかん粉と米粉は、どう違う?
鹿児島では、「かるかん粉」という粉が市販されているのだそうです。
かるかん粉も、私たちが普段使う米粉も、基本的にはうるち米を粉にしたものです。
ただ、かるかん粉は軽羹作りに適した細かさや風味に仕上げられており、山芋と混ぜやすく、蒸している途中に生地が割れにくいのが特徴なのだとか。
同じうるち米の粉なのに、粒子の細かさや粉の状態によって、混ざり方や蒸し上がりが変わる。
何をどのように変えると、そのような違いが生まれるのでしょう。
和菓子の世界は深いなあと思います。
以前、千葉県の清和で採れた良質な自然薯をたくさん手に入れたとき、私も軽羹を作ってみました。
かるかん粉は手元になかったため、米粉で代用しました。
甘さは、一般的な軽羹より控えめに。
ご紹介するレシピは、自然薯ではなく大和芋でも作れるように、泡立てた卵白を加えています。
しっかりと粘りのある自然薯を使うなら、卵白を加えなくても作れると思います。
自然薯の風味を楽しむ、米粉の蒸しパンのような仕上がりです。
由緒ある御用菓子の品格には及びませんが、家庭で気楽に作って食べるには、十分おいしくできました。
そこで名づけたのが、「お気楽軽羹」です。
混ぜて蒸すだけ「お気楽軽羹」
自然薯、砂糖、米粉の割合は、
自然薯:砂糖:米粉=6:3:4
自然薯が手に入らない場合は、大和芋でも作れます。
材料
- 自然薯 90g
※皮をむいた正味量。大和芋でも作れます - 砂糖 45g
- 卵白 1個分
- 米粉 60g
- 水 大さじ2(30ml)
- 酢水 適量
- 型に塗る油 少々
作り方
1.自然薯は皮をむき、酢水に5分ほどつけます。水気を拭き取り、すりおろします。
2.すり鉢があれば、すりおろした自然薯を入れ、砂糖を2~3回に分けて加えながら、なめらかになるまですり混ぜます。
*すり鉢がない場合は、ボウルに入れ、泡立て器やへらなどでよく混ぜてください。
3.別のボウルで卵白を硬く泡立てます。
4.自然薯の生地に泡立てた卵白を加え、泡をつぶしすぎないように混ぜます。さらに米粉を加え、粉っぽさがなくなるまで混ぜます。
5.水を少しずつ加え、そのつど混ぜて、生地の硬さを整えます。
6.薄く油を塗った耐熱容器に、生地を7分目くらいまで入れます。
7.蒸気がしっかり上がった蒸し器に入れ、強火で20分ほど蒸します。
8.竹串を刺し、生の生地がついてこなければ出来上がりです。
家庭のお菓子だから、自由に楽しんで
ところで、軽羹には、こしあんを入れて蒸した軽羹饅頭もあります。
家庭で作るなら、あんこだけにこだわらず、刻んだりんごやレーズンを入れて蒸してもおいしそうです。
まずは何も入れずに、自然薯と米粉の素朴な風味を味わう。
次には、あんこを入れてみたり、季節の果物やドライフルーツを加えてみるなど、アレンジも楽しんでみてください。
基本を知ったうえで、家にある材料や自分の好みに合わせて展開できるのが、手作りの楽しさです。
山芋、米、砂糖という、その土地で手に入る材料から生まれた軽羹。
私にとっては、父のことを思い出させてくれる味なんです。
軽羹、歴史にも思いを馳せて、手に取って(あるいは作って)みてくださいね。







